サンフランシスコ郊外で感染経路が不明な新型コロナウイルス感染者が見つかり、米国社会の緊張感が一気に高まった。これに先立ち、トランプ大統領は臨時の記者会見を開き、国民に落ち着いて行動するよう求めた。一方、CDCは深刻な事態に直面しており、新型コロナウイルスの蔓延は避けられないとの見解を示した。NIHは新型コロナウイルスの治療薬の開発状況を説明し最新医学の力でこの危機を乗り切る姿勢を示した。

出典: Centers for Disease Control and Prevention |
期待される治療薬
この記者会見の中でアメリカ国立衛生研究所(NIH)のAnthony Fauciは、既に新型コロナウイルスの治療薬の臨床試験を進めていることを明らかにした。この治療薬は「remdesivir(レムデシビル)」と呼ばれ、Gilead Sciencesにより開発された。Remdesivirは幅広い種類のウイルスを対象とし、エボラウイルス(Ebola Virus)の治療で効果をあげた。また、動物実験でMERS(Middle East respiratory syndrome)とSARS(Severe acute respiratory syndrome)で効果があることが報告されている。
臨床試験が始まる
Remdesivirを人間に投与してその効用を検証する臨床試験が始まった。これはNIH配下の国立アレルギー・感染症研究所(National Institute of Allergy and Infectious Diseases)が主導し、ネブラスカ大学医学部(University of Nebraska Medical Center)で実施されている。これが米国での最初の臨床試験となり、クルーズ船Diamond Princessの乗客でチャーター機で帰国した患者が被験者となる。世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルスの治療薬候補を公開しており、そこには50余りの治療薬がリストされている。この中で、WHOはremdesivirに期待しており、この薬が新型コロナウイルスに効果があるとの見解を示している。
治療薬の仕組み
Remdesivirは新型コロナウイルス(正式名称はSARS-CoV-2、下の写真)に感染した細胞の中で、ウイルスがRNAの複製を造るプロセスを阻害することで、病気(正式名称はCOVID-19)の進行を抑止する。新型コロナウイルスはRNAウイルスで、MERSやSARSも同じタイプである。RemdesivirはMERSにおける動物実験で効果をあげており、同じタイプのウイルスである新型コロナウイルスでも効果があると期待されている。事実、GileadはC型肝炎の治療薬「Harvoni」でこの手法を使っており、その効果が実証されている。C型肝炎ウイルスはRNAウイルスで、Gileadはこの分野で多くの知見を有している。

出典: National Institute of Allergy and Infectious Diseases |
補足情報:ウイルスの種類
ウイルスは遺伝子情報を格納する形式でDNAウイルスとRNAウイルスに区分される。DNAウイルスはウイルス内部にDNAを持ち、ここに遺伝子情報を格納する。天然痘を引き起こすウイルスなどがこのタイプとなる。一方、RNAウイルスはRNAに遺伝子情報格納する。新型コロナウイルスはこのタイプで、感染すると体内の細胞の中にウイルスのRNAが放出され、そのコピーが作られ増殖する。新型コロナウイルスは名前が示す通り、新しい種類のコロナウイルスとなる。コロナウイルスには前述のMERSやSARSが含まれ、哺乳類や鳥類に感染し病気を引き起こす。人間の場合は呼吸器感染症などを引き起こす。
Gilead Sciencesとは
Gilead Sciencesはシリコンバレーに拠点を置くバイオ製薬会社で、基礎研究をベースに医療技術を開発している(下の写真)。Gileadは抗ウイルス薬(Antiviral drug)を中心に研究を進め、HIV、B型肝炎、C型肝炎などの治療薬を出荷している。GileadはスイスRocheにインフルエンザ治療薬をライセンスしており「Tamiflu(タミフル)」のブランドで出荷されている。Gilead本社の近くにはGenentechやAlphabet配下のVerilyやCalicoがオフィスを構えており、バイオ技術と情報技術を組み合わせ、先端医療技術を生み出している。

出典: Gilead Sciences |
ワクチンの開発状況
この他に、新型コロナウイルスに対するワクチンの開発も進んでいる。インフルエンザを予防するためにワクチンの接種をするが、新型コロナウイルスの予防にもワクチンが欠かせない。通常、ワクチンを開発して製造するまでには3年から4年かかり、この方法では新型コロナウイルスの治療に間に合わない。このため、新たな手法でワクチンの開発が進んでいる。Moderna Therapeuticsは合成したMessenger RNAを体内に注入することで免疫力をつける手法を取る。既に、ワクチンのサンプルをNIHに送付し、臨床試験が4月から開始される。また、InovioはNIHからの助成金を受け新型コロナウイルス向けのワクチンの開発を進めている。
新型コロナウイルスの遺伝子配列
新型コロナウイルスのワクチンを開発するためには、ウイルスの遺伝子配列情報が必須となる。ウイルスの遺伝子配列からその種別や特性などを理解する。中国の研究グループは2019年12月、新型コロナウイルスの遺伝子配列を解析しデータベース「GenBank」に登録した(下のグラフィックス)。病気発症から一か月余りでウイルスの全遺伝子を解読し、この情報が治療薬開発などで使われている。これに続き日本の研究グループは2020年1月、遺伝子配列を解読しGenBankに登録している。この解析データによると、新型コロナウイルスのRNAは29903の塩基対から構成され、11の遺伝子を含んでいることが分かる。GenBankとはNIHが運営するデータベースで、人間を含む生物組織の遺伝子配列が登録されている。自由にアクセスでき、医療技術の発展に寄与している。

出典: GenBank |
遺伝子の合成
ワクチンや治療薬の開発では新型コロナウイルスの遺伝子配列情報だけでなく、ウイルスの遺伝子そのものが必要になる。感染者からライブのウイルスを採取してワクチンを開発するのでは時間がかかり、今ではウイルスの遺伝子を研究室で生成する手法が使われる。先進バイオベンチャーなどからウイルスのDNAを人工的に生成した合成遺伝子(Synthetic DNA)が提供されている。サンフランシスコに拠点を置くTwist Bioscienceはこの分野のトップ企業で、ウイルスや酵母の遺伝子を生成し、これを研究機関に提供している。実際に、Twist Bioscienceは新型コロナウイルスの遺伝子を合成し、前述のInovioに提供している。Inovioはこの合成遺伝子で新型コロナウイルスのワクチンを開発している。

出典: Twist Bioscience |
遺伝子合成とその危険性
遺伝子を生成する手法は早くから使われてきたが、生成するコストが高く、幅広く普及するには至らなかった。2000年当時、一対の塩基を生成するために10ドルを要した。その後、技術が進み、2010年にはこれが1ドルとなり、現在は0.09ドルで生成でき、医薬品や新素材開発の基礎を支えている。ただ、この手法が悪用されると、テロリストがウイルスを生成し、それを兵器として使う恐れがある。この手法は「Mail-Order Virus」として警戒されている。遺伝子合成が悪用されることを防ぐため、Twist Bioscienceなど合成生物学企業は、生成する遺伝子配列やそれを発注した企業などを政府の規定に従って精査し、安全であることを確認して合成遺伝子を発送する。

出典: Centers for Disease Control and Prevention |
サンフランシスコで非常事態宣言
サンフランシスコ郊外で新型コロナウイルスの感染者が見つかり動揺が広がっている。これは感染経路が特定できない市中感染(Community Spread)で、病院の医師は既に多くの感染者がいるとの見解を示し全米で危機感が高まった。カリフォルニア州知事は、8,100人に感染の疑いがあるとして検査を実施する方針を示した。ただ、新型コロナウイルスを検査するためのキット(上の写真)はアメリカ疾病予防管理センター(CDC)から支給されるが、カリフォルニア州全体で200セットしかなく数量が不足している。CDCはキットを増産し、これから本格的な検査が始まることになる。ここで多くの患者が見つかる可能性もあり、サンフランシスコ市は非常事態宣言を発令し、市民に対応を呼びかけている。トランプ大統領は楽観的な見方を示しているが、市民は重大事態が発生することに身構えている。