米国連邦議会は顔認識技術の使用を全米で禁止する法案を提案した。これは連邦政府関係者が顔認識技術を使うことを禁止するもので、AIの危険性が全米レベルで認識されたことを意味する。既に、サンフランシスコ市などは顔認識技術の使用を禁止しているが、この流れが全米に拡大した。この背景には、アメリカ社会の人種差別に関する構造的な課題がある。

出典: MIT Media Lab |
法案の概要
この法案は「Facial Recognition and Biometric Technology Moratorium Act」と呼ばれ、民主党の有力議員により提案された。法案は連邦政府の治安部門が顔認識技術(facial recognition technology)を所有し、これを使うことを禁じている。更に、連邦政府から助成金を受けている地方政府にも同様の規制を求める。
人権問題との関連
米国では警察が顔認識技術を使って犯罪捜査をすることに対し批判的な意見が多く、議論が続いていた。この中で、警察が黒人男性George Floyd氏を死亡させたことで、全米各地で抗議デモが続いている。警察の捜査手法に抗議するもので、顔認識技術もその一つであるとの認識が広がっている。顔認識技術は完全ではなく、判定精度に偏り(Bias)があり、犯罪捜査で黒人に不利になっているという事実がある。
IBMは事業を停止
このような社会情勢の中で、主要IT企業は顔認識技術の使用中止を表明した。6月9日、IBMは顔認識技術の開発と販売を中止し、事業から撤退することを発表した。この理由として、顔認識技術は人種差別を助長する要因となっており、IBMは技術が住民監視や、人種特定に使われることに反対し、国民の人権と自由を守ると表明した。
Amazonはモラトリアムを宣言
Amazonはその翌日、顔認識技術の使用を制限すると発表した。具体的には、顔認識技術「Rekognition」を警察が使用することを1年間中止する。警察による過剰な捜査手法が問題になり、顔認識技術もこの一部として認識され、Amazonは国民世論に押されモラトリアムを宣言した形となった。(下の写真、Rekognition:アマゾンクラウドの機能で使用料が安く、多くの警察で使われている。)

出典: Amazon |
顔認識技術の問題点
多くの企業が顔認識技術を提供しているが、非難の矛先はAmazonに集中している。Amazonの顔認識技術Rekognitionは他社に比べて判定精度が低いとの指摘がある。更に、人種間で判定精度が大きく異なるという問題を抱えている。白人では判定精度のエラー率は3.08%であるが、黒人のエラー率は15.11%と高い。更に、白人男性ではエラー率はゼロであるが、黒人女性のケースでは31.37%と高い。つまり、犯罪捜査でRekognitionが使われるが、黒人の判定精度は低く、これが誤認逮捕につながる。(下のテーブル:主要各社の顔認識技術とその判定精度、Amazonは下から二段目、各社とも黒人の判定精度は低い)

出典: Inioluwa Deborah Raji et al. |
警察の利用方法
Rekognitionは全米の多くの警察で利用されている。犯罪捜査で被疑者の写真から身元を割り出すためにRekognitionが使われる。犯罪現場で監視カメラが撮影した被疑者の顔写真と、犯罪者データベースを比較して、その人物の名前を特定する。被疑者の顔写真を入力すると、Rekognitionがその特徴量でデータベースを検索し、よく似ている顔を出力する(下の写真)。犯罪者データベースには収監された犯罪者の顔写真が格納されている。被疑者の身元を簡単に特定できるため、Recognitionは犯罪捜査で大きく役立っている。

出典: Washington Post |
顔認識技術が誤認逮捕の原因
顔認識技術を使った犯罪捜査で恐れていた事態が発生した。New York Timesなどがこれを報道し、AIの危険性が再認識された。ミシガン州デトロイト警察は顔認識技術を使い犯罪捜査を進めている。監視カメラに写った顔写真を顔認識システムに入力し、その人物身元を割り出す。このケースでは、AIの判定結果は間違いで、黒人男性を誤認逮捕し長時間にわたり拘留した。警察はAIが判定する結果に基づき被疑者の逮捕に踏み切った。記事は、デトロイト警察は顔認識技術はRecognitionではなく、日本企業など技術を使っていると報じている。
アルゴリズムがバイアスする理由
人種間で判定精度が大きく異なる理由は明白で、教育データが偏っているためである。アルゴリズムは数多くの白人の顔写真で教育され、白人についての判定精度は高くなる。一方、黒人の教育データ数は少なく、そのため、アルゴリズムの判定精度が下がる。このため、教育データを整備するとき、人種間でばらつきをなくすることで問題を解決できる。
根強い不信感と地域の治安
顔認識技術が社会問題となったのは、判定精度だけでなくその利用方法にある。仮に、アルゴリズムのバイアスが修正されても、顔認識技術への抵抗感は根強く存在する。警察の犯罪捜査で、顔認識技術が特定人種の被疑者を逮捕する方便として使われる、と解釈する人は少なくない。また、国家が顔認識技術で国民の行動をモニターしていると感じる人も少なくない。その一方で、顔認識技術が犯罪捜査に役立ち、地域の治安に大きく貢献していることは事実である。特に、テロリスト対策で顔認識技術は国家安全保障に寄与している。

出典: Deepak Babu Sam et al. |
政府のガイドライン
つまり、顔認識技術に関するガイドラインの欠如で不信感が増幅され、技術が治安に生かされていない。今は、統一した基準はなく、Amazonなど各社は独自のルールを作り、事業を進めている。一方、ある新興企業は犯罪すれすれの手法で顔認識技術を開発し問題が深刻化している。このため、AmazonやMicrosoftなどIT企業各社は連邦政府に対し規制の制定を呼び掛けている。上述の法令は顔認識技術の使用を全面的に禁止するもので、運用ルールについては触れていない。これが最初のステップとなり、政府のガイドライン制定が進むことが期待されている。