ヒト受精卵の遺伝子解析で健康でIQの高い赤ちゃんを出産、AIでスーパーベイビーを誕生させることは許されるか

米国でヒトの受精卵の遺伝子解析が静かに広がっている。体外で受精した卵子の遺伝子を解析し、病気発症を予測する。複数の受精卵の中から、病気を発症する確率が低いものを選び、健康な赤ちゃんを出産する。更に、遺伝子解析でIQの高い受精卵を特定でき、賢い赤ちゃんを産むことができる。しかし、スーパーベイビーを生むことに対しては、深刻な倫理問題を内包し、社会的な批判が大きい。

出典: Genomic Prediction

受精卵の遺伝子解析技術

この技術を開発したのはGenomic Predictionという新興企業で、受精卵の遺伝子を解析し、生まれてくる子供の特性を把握する。受精した卵子から細胞を取り出し、その遺伝子配列を把握し、生まれてくる子供が罹りやすい病気を予測する。更に、子供の将来の身長やIQなど、身体特性を予測することもできる。

成人向けの遺伝子解析との相違

ヒトの遺伝子解析は幅広く普及しており、米国では23andMeなどが個人向けに解析サービスを提供している。唾液などの検体を送れば、発症する可能性が高い病気や身体の特性について知ることができる。これに対し、受精卵の遺伝子解析では、複数個(例えば5個)の受精卵を準備し、これらの遺伝子を解析し、その中で最も優れている受精卵を選んで出産する。23andMeは将来の健康状態を把握するために利用するが、Genomic Predictionは健康で優秀な子孫を残すために使われる。

受精卵の遺伝子解析のプロセス

この検査は体外受精(In Vitro Fertilization) のプロセスの中で実施される。体外で卵子と精子を受精させ、受精卵は細胞分裂を開始し胚(Embryo)となる。胚から細胞を取り出し、遺伝子の配列を解析する。体外受精は不妊治療として実施されるが、この際に受精卵の遺伝子検査を受ける。また、家系に重大な遺伝子病がある場合は、体外受精を実施し、病気発症の遺伝子を持っていない受精卵を選び出産する。

出典: UC San Francisco

体外受精の件数が増加

受精卵の遺伝子解析が広がっているが、この背景には体外受精で出産する件数が増えていることがある。世界的に女性の出産年齢が上昇する傾向にあり、体外受精で子供を授かるケースが増えている。特に、デンマークやベルギーでこの傾向が高く、出生する子供の10%が体外受精といわれている。これに対して、日本は5%で、米国は3%であるが、先進国で体外受精の割合が増加している。

病気発症のリスク

Genomic Predictionは受精卵の遺伝子解析「Pre-Implantation Genomic Testing」により、生まれてくる子供が一生のうちに病気を発症するリスクを査定する。対象となる病気は、糖尿病、乳がん、心臓疾患など10を超え、発症する確率を予測する。(下の写真、病気の種類と発症の確率)。このケースでは糖尿病を発症するリスクが平均より高いと査定された。被験者はこの受精卵を避け、病気発症のリスクが低いと判定された受精卵を選び出産する。生まれてくる赤ちゃんは糖尿病を発症する確率がぐんと低くなり、健康な生活を送ることができる。

出典: Genomic Prediction

病院で検査を受ける

Genomic Predictionの遺伝子解析サービスは医療機関を通じて提供される。提携している医療機関の数は少ないが、米国ではスタンフォード大学大学病院(Stanford Medicine Fertility and Reproductive Health、下の写真)経由でサービスを提供している。被験者は病院で診察を受け、必要に応じて受精卵の遺伝子検査を受ける。議論を呼ぶ治療法であるため、受精卵の遺伝子解析は慎重に進められている。

出典: Stanford Medicine

IQを予測する

Genomic Predictionの遺伝子検査で生まれてくる赤ちゃんの将来の身長やIQを推定することができる。身長やIQなど身体特性は受精卵の遺伝子配列から決まり、身長のケースでは予測誤差は3センチメートルとしている。また、IQについても、知能の高さと遺伝子配列の間で強い相関関係が認められ、高い精度で予測できる。ただし、IQの予測は重大な倫理問題を含んでおり、Genomic Predictionはこの解析サービスを中止した。

遺伝子解析と倫理問題

受精卵の遺伝子を解析することで、健康状態や身体特性を予測し、ベストな受精卵を選び出産することに関し、社会の意見は割れている。病気発症を予測するなど医療目的で使うことに対しては、一定の理解が得られている。しかし、この技術をIQなど身体特性の予測に適用し、優秀な赤ちゃんを生むことに対しては厳しい批判が相次いでいる。このため、米国においてGenomic Predictionの予測技術は健康状態を把握することに限定して使われている。

出典: Genomic Prediction

スーパーベイビーの誕生

人間の欲望は貪欲で、重大な倫理問題を抱える手法であるが、優秀な赤ちゃんを産むことに対し根強い願望がある。これからは、多くの赤ちゃんが体外受精で生まれてくることになり、優秀な受精卵を選択する機会が増える。また、iPS細胞(Induced pluripotent stem cell)を使えば、体細胞(例えば皮膚の細胞)から卵細胞を生成できる。これにより、数個ではなく数多くの受精卵を生成でき、スーパーベイビーの誕生に繋がる。倫理的にも科学的にも許容されるものではないが、世界のどこかで研究が進んでいるのは間違いない。

[技術情報:遺伝子解析とAI]

Predictor

遺伝子変異から病気発症や身体特性を予測するために高度なAIが使われている。Genomic Predictionは遺伝子特性(Genotype)から身体特性(Phenotype)を推定するAI「Predictor」を開発した。このAIは受精卵の遺伝子配列から、生まれてくる赤ちゃんの特性を算定する。遺伝子特性では一塩基多型(Single-nucleotide polymorphism、SNP)をシグナルとして使っている。対象としたSNPの数は80万で、遺伝子特性の99%をカバーする。

UK Biobank

AI開発では教育データがカギを握るが、Genomic Predictionは遺伝子バンク「UK Biobank」のデータを利用した。UK Biobankとは英国の非営利団体が構築した遺伝子データセットで、ここに50万の遺伝子と、4000億を超えるSNPが格納されている。これらのデータを使ってアルゴリズムを教育し、完成したアルゴリズムの精度が検証された。

Polygenic Prediction

Genomic Predictionは「Polygenic Prediction」という手法を使って病気発症を予測する。病気を引き起こす遺伝子は一つではなく、複数の遺伝子が関与している(下の写真右側、乳がんのケース)。AIはこれら複数の遺伝子変異から病気発症の確立を算出する。これに対し、「Monogenic Prediction」という手法は一つの遺伝子から病気発症の確立を算定する(下の写真左側)。Genomic PredictionはMonogenic Predictionに比べ予測精度が高い。

出典: Genomic Prediction

病気発症リスクの低下

この試験(Preimplantation Genetic Testing)により病気発症のリスクを下げることができる。体外受精で受精卵をランダムに選択した場合と、この試験によりリスクの低い受精卵を選択した場合を比較すると、生まれてくる子供が将来病気を発症する確率が大きく下がる(上のグラフ)。11の病気で発症リスクが下がり、心臓発作は46.9%、糖尿病(タイプI)は33%低下する。

出典: Nathan Treff et al.

IQの予測精度

Genomic PredictionはSNPとIQの間に強い相関関係(Correlation coefficientが0.7)があるとしている。また、アルゴリズムを教育するデータ数を増やせば、高い精度でIQを予測することができる。IQは遺伝するのか、それとも生活環境に依存するのか議論が続いているが、Genomic PredictionはIQを決定する要因の80%が遺伝子であるとしている。

研究課題

AIはUK Biobankに登録されている人の遺伝子情報で教育された。UK Biobankには英国を中心に欧州の人々の遺伝子情報が登録されている。このため、このアルゴリズムを他の人種に適用すると予測精度が低下する。このため、人種ごとの遺伝子情報でアルゴリズムを教育する必要がある。その際に、Transfer Learning(アルゴリズムを手直しすることなく他のデータで教育)の手法を用いることができるかがこれからの研究課題となる。

遺伝子解析とデータ

遺伝子解析による予測精度はアルゴリズムを教育するデータの量と質に依存する。このため、国や企業が大規模な遺伝子データセットを構築することが遺伝子工学の進歩に繋がる。米国ではNIHや23andMeなどが遺伝子データセットの整備を進めている。23andMeはGoogleが出資している新興会社で、消費者の個人データを収集し、これを解析することで収益を上げる構造となっている。検索や広告事業と同様に、遺伝子解析事業では消費者の個人データを大規模に収集することが成功に繋がる。